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2005年7月01日発売の「kyushu eyes」7月号に掲載されました。
<カラー6p>
( P100 - P105 )

九州から発信する経営者たち
Eiichi Nishiura


第1回 西浦 栄一 (NIFTY)

 


素直に、柔軟に、しなやかに。
ヘアデザイナーは生活をクリエイトする

 ライフスタイルに美意識を取り入れる事。例えば、人間のたちふるまいやファッション、ヘアスタイルなど外見から魅せること。または花を生けたり、お気に入りの器を集めるなど、内面で美を感じこと。熊本で活躍するヘアデザイナーであり、経営者でもある西浦栄一さんは、生活と美意識の共存を提案し、サロン方針としてスタッフに教えている。普遍的なものの中にある本質的な価値観を求めて、今日も西浦さんは人に、社会に貢献する。


 

美意識の原点。
熊本から発信する
新しいエナジー。
 「13年前から来て頂いている、80歳近いお客様がいらっしゃるんですけど、どうやらご病気になられていたようで、しばらくお店に顔を出されませんでした。ある日、娘さんに手を引かれて久しぶりに来店されたんです。でも、病気の影響か目に力がなくて…。ただお洒落には昔から関心を持っていらっしゃる方だったので、カットをしてから自分の姿を鏡で見られた時、普段の自分と違うように感じられたようで、とても元気を取り戻されたんです。それからまた娘さんとお店に来られるようになりました。この時、感じたんです。女性が美しくなることは、生きる力に繋がるんだって」。

 「美意識は人を救い、心を豊かにするのではないか」。そう話すのは、熊本から全国に向けてヘアスタイルを発信し続け、今や熊本市内で3店鋪を経営するヘアサロン「NIFTY」の代表、西浦栄一さん。実家が美容室を経営し、もの心つくころから、日常会話では、東京で活躍する有名な美容室やスタイリストについての話題が上がっていたという。そんな環境で育った西浦さんにとって、美容師になることは自然の流れだった。大学へ進学した後は、車の免許を取る感覚で、美容師免許を取得するため美容専門学校の通信教育を受けていた。80年代後半、日本経済がバブルに突入する時代に、彼はやりたいことが見つからず、具体的な将来設計がないまま過ごしていた。それでも何とかなるだろうと思っていたという。大学卒業を間近に控え、そろそろ現実的に仕事を考え始める頃、今まで日常の中の一コマであった美容の仕事を始めようと、東京で働くことを決意した。美容師である母親の知り合いで、熊本にある美容ディーラーの社長に希望を伝えた。一つは「今後、東京で5本の指に入る美容室」。一つは「トータル的に指導してくれるサロン」。そのサロンがのちに店長を務めることになる「MINX (ミンクス) 」だった。当時自分の持つコネクションを最大限に生かした学生時代を経て、西浦さんは東京を目指し、自分への可能性に挑み始めた。


小さなサロンから始まった、
トップスタイリストヘの道。

 当時、17坪の小さなサロンで、従業員は10名しかいなかったMINX下北沢店。西浦さんが入社したのは23歳の頃。先輩は自分よりもほとんど年下のスタッフだった。「年齢的に、もう取りかえしがつかないからこそ、ハングリー精神でがんばりました。”いつかこいつらを抜いてやる”ただそれだけでしたね。何よりも自分に早く自信をつけたかったんです」。目標をもって仕事に取組んでいれば、自ずと数字がついてきた。また、全国展開を視野に入れたサロンだったので、業界紙の撮影やヘアーショーなど、サロンワーク以外の仕事が入り、美容師という仕事が面白くなっていったという。気がつけば入社3年目から売上はトップ。東京での生活や仕事に慣れた4年目には結婚、子供も生まれた。そして5年目には、3店鋪目の店長に抜擢された。しかし、子供を育てながらの東京での生活は想像以上に大変だったという。「初めての子育てなので何も分からないし、お互い両親はそれぞれ熊本、福島にいるから、子供を側で見てくれるわけでもない。毎日大変だからこそ、ずっとこの辛い生活が続くんだと思っていたんです。」そんな時「将来的には熊本でヘアサロンを作りたい…」。そう心の中で考えていた想いは、MINXでずっとトップスタイリストだった彼にとって、大きな決断をするきっかけになった。

 



'92年にオープンした「edge (イージュ) 」。
日本人のキュートさをコンセプトに、
天国をイメージしている。
 

「個」から「経営者」として
自ら動いた新店舗の戦略とは?

 東京にいた5年間、トップスタイリストとして働いていた西浦さん。自信と野心に満ちあふれていた彼は、熊本で自分のサロンをスタートさせるため、11月に帰熊。しかし、いざ自分の店を作るにも、当時は資金繰りプロモーションの仕方さえ分からなかったという。美容の技術や感性で人を美しくスタイリングすることはできても、店を立ち上げることに関しては無知に等しかった。そんな時に頼りになったのが、実家が経営する美容室と「MINX」時代の経験だった。「分からないことばかりでしたが、なぜかできる自信はあったんですよ」と、笑いながら当時を振りかえる西浦さんは、熊本に戻って3ヵ月後という猛スピードで、現在の「edge (イージュ)」を出店することになる。しかも「14坪くらいのスペースじゃ先が見えないし、人が育たない」と、となりの部屋も借りて合計約24坪のNIFTY第1店鋪目を誕生させた。

 オープニングスタッフはわずか5人。カットできる人間も西浦さんを含めて2人だけだった。顧客データも何もない、まったく新しい美容室。一体どういう戦略で顧客を取得していったのだろうか。「”100枚チラシを配れば4人が戻ってくる”ということを、当時の美容メーカーのマーケティングをされていた方から教えてもらったんです。なのでオープニング前、MINX時代に作った外国人モデルの作品メニュ−表、サ−ビス券を封筒に入れて、1万枚配付したんですよ」。その効果もあってオープン当日は、お客さんが100人来るという大盛況。少ないスタッフでうまくローテーションを組みながら、1ヵ月間は順調に数字を伸ばしていった。初めて美容室を立ち上げた店としては、反響が大きかったが、2ヵ月目は来店客数が転落。チラシの効果が減ったことと1ヵ月目に髪を切った人が、そんなにすぐに再来店はしないという理由からか、数字がまったく上がらない日々を過ごした。このままでは採算ベースにあわず、経営自体が難しくなることに不安を抱きはじめたという。しかしオープンから3ヵ月後、サロンは再びお客さんで一杯になった。それはオープン後すぐに来店したほとんどの人がNIFTYに戻ってきたのだ。リターン率ほぼ100%。NIFTYの創り出すヘアスタイルは、もう一度このサロンに行きたいと想わせる、美への確かな技術とセンス、スタイリング力があった。さらに西浦さん自身、チラシの他にこつこつ行なって来た集客のためのプロモーションがあった。それは感度の高いショップへ東京時代に創ったヘア作品を持参し、無料でカットモデルをお願いして回ったことだ。「口コミに勝るものはない」という言葉を耳にするが、西浦さんが創り出す、お洒落なショップ店員のヘアスタイルは、一般のお客さんにとって関心が高かった。「その髪、どこで切ったの?」と、たちまち周囲の話題になり、それがNIFTYへ足を運ばせるきっかけになった。この口コミ効果とお客様の高いリターン率は、西浦さんが熊本でサロンを行なう揺るぎない自信に変わっていった。それから1年ごとに4人ずつスタッフを増やし、4年ごとに店鋪を増やしていくこととなった。


クリエーションの根底にある
普遍的な”オリジナリティ”

 NIFTYのオープン当初から常に考えているコンセプトは”オリジナルの創造”だ。美容に関するものすべてがオリジナルで有りたいと思っているNIFTYにとって、お客様へのヘアスタイルの提案はもちろん、ヘア作品の撮影、プロモーション活動としてのダイレクトメール、ホームページ制作。また、顧客管理や営業のシステムまで独自の方法を取っている。さらにそれらを管理するオフィスも機能させるようになった。特にオープンしてから力を入れていたのが、作品の撮影やヘアショー。それはオリジナルへの果てなき追求とクリエイティブの向上、オンタイムより早い新しさへの察知能力、そして自分の作品を創ることができる喜びとプライドの保持がスタッフのスキルアップに繋がると考えた。彼自身、MINX時代に美容雑誌や全国各地で行なうヘアショーで培った技術力、提案力、コミュニケーション力が、技術向上のために役立ったという。またスタッフの人間力を鍛えるため、一人一人に躾やNIFTYの目指して行くものについて話していくようになった。その根底にあったのが「お客様を大切に思い、接客し、満足して頂けば、必ず自分のところへ戻ってくる」という基本姿勢。「本当は福利構成の満足や休みを多くしてあげたいという気持ちがあるんです。でもすぐに対応してあげるのは難しい。だからこそ、スタッフ一人一人の認識をかえ、いろんなことを教えていきたいし、いい意味で”働きがいのある”サロン環境を作っていくしかないんだなと」

 


ロックやパンクなどハードな印象を持つ 「
auzz (アズ)
クラブっぽい牢屋で「edge」と正反対の創りにした。



3号店目 「neuer (ノイエ) 」。
NIFTYが考える癒しとクールを
テーマにしたインテリアになっている。
 

自らを変えることで
変わっていった
経営における「貢献」の意識

 2000年、NIFTY3店鋪目である「neuer (ノイエ)」をオープンさせたときから、経営に対する意識が本格的に変わった。店鋪数で考えると順風満帆のように見えるが、数々の苦難苦労を乗り越えてきた。そんな彼は素直に、謙虚に仕事をしてきたからこそ、会社をより組織化して効率化を図る必要があると考えた。経営手段やスタッフについて真剣に取組み始めたという。まず会社をシステム化することは単に利益増だけでなく。スタッフの集客力、技術力、人間力、管理能力の向上を念頭においた。それが顧客満足になり、従業員満足に繋がるからだ。最終的には、この構図が社会貢献に発展できると考えた。西浦さんは大手ディーラーが主催する若手経営者のための講習会に積極的に参加し、経営の手段や今後の展開について情報交換しながら、様々なことをカタチにしていった。例えば、彼の下にマネージャー職を置いたり、社志社訓を作る。さらに「NIFTY BASIC」というNIFTY独自の技術教科書や人間力マニュアルというビデオの制作。ホームページや掲示板を設置するなど、ネット関連の充実なども図っていった。

 しかし、様々なところで組織化を行なってきたものの、なかなか効果的な結果は出て来なかった。「なんでもっとうまくいかないのか」。毎日、自問自答を繰り返す日々が続いた。「自分の存在価値ってなんだろう…」。NIFTYを立ち上げて13年目を迎え、西浦さんは今まで信じていたものや、考え、反省したという。そんな時、たまたま書店で手にとったのが、昨年に発売された稲森和夫著「生き方」という本だ。「生きる意味や価値について考えた時”心を高めること”そして”魂を磨くこと”が、限り有る人生を実り多いものにする」。この言葉がきっかけで、今まで悩んでいた「自分がしなければならないこと」「自分がしたいこと」の葛藤がクリアになってきた。「心を高めていくと、自分が今しなければならないことが、自分のしたいことに近付けることができたんです」。それから、彼自身の存在意識が、お客様に、スタッフに、社会全体に貢献していきたいという考えになった。それからというもの、ライフスタイルががらりと変化した。朝は5時に起床し、ウォーキングする。朝の新鮮な空気を肌で感じながら、時には近所のお寺でお坊さんの説法を聞き、時には最近始めたフラメンコの練習をする。今までの反省を感謝に変えるため、健康的な生活を始め、心を正し始めていった。西浦さんは「勤勉に向上しようと行動すると心が安心する」という。努力を惜しまない姿勢は、日本人の美徳であり、文化であると言っていいだろう。そして最終的にはサロンワークに繋がっていくのだ。「お客様に思いを込めたり、頭を働かせて、最高の状態で接客したい。そうするためには自分の体と心が健康じゃ無いと集中できない。だから、技術の向上はもちろん、まずは体調管理が先だという、物事の優先順位がずいぶん変わりましたね」


普遍的な中に
新しい価値を見出して

 「これからは生活をデザインするNIFTYになりたい」。そのためには自分自身やスタッフの考え、生活を考え直さなければならないという。例えば、西浦さんにとって5時起床、ウォーキング&フラメンコの練習がそうだ。「フラメンコの基本は、立ち振る舞いが美しいこと。姿勢がピンとしていると、そのひとの心まで清く見える。ただそれを意識して生活するのとしないとでは、その人の美意識が全く変わるんですよ」。”内面から輝く健康的な美”は、彼の現在のライフスタイルによるものだろう。

 NIFTYは熊本から全国へヘアスアイルを発信し続けている。地域に根ざした経営方法やサロンのブランディング化だけでなく、自己の成長と従業員教育つまり”心を育てる”という作業に全力投球だ。美しいものを見て「美しい」と認識することは、素直な人ほど吸収するスピードと柔軟性がある。西浦さんも同じで、謙虚な性格だからこそ、自分の存在価値について柔軟に考え、葛藤し、答えをだしたのだ。まずは基本に返り、美意識という価値観を生活にプラスし、心の安らぎを保つこと。これこそ、安心安全の時代に必要不可欠なものだ。今後、NIFTYが目指すのは、日本人の文化や美徳、美意識をグローバルに発信していくこと。普遍的なオリジナリティへ向かって、さらに大きなフィールドへと邁進していくのだろう。


 

Eiichi Nishiura : a hair desiner and his salon's chronicle

 

1963年 
熊本県熊本市に生まれる

1982年 
熊本商科大学(現熊本学園大学)進学 
九州高等美容学校の通信教育を開始

1986年 
熊本商科大学卒業 
「MINX」入社下北沢店勤務

1990年 
「MINX」NEXTの店長に

1992年 
帰熊後、「NIFTY」設立 
ヘアーショー(福岡イムズ)

1993年 
ヘアショー(福岡ガスホール/熊本ジャンゴ/熊本ライブベースクルー)

1994年 
JHAニューカマー部門ファイナリスト(西浦 栄一)

1996年 
「NIFTY auzz」設立

1998年 
ヘアショー(福岡スカラエスパシオ)

2000年 
「NIFTY neuer」設立

2001年 
JHA九州ブロック賞受賞(吉木 紀之)

2004年 
JHAニューカマー部門ファイナリスト(吉木 紀之) 

2005年 
「NIFTY auzz」8月改装予定

and More.......

※JHA…Japan Hairdressing Awards

 

 

 

 

 

 

「kyushu eyes」7月号 VOL.3より転載